
サステナビリティ サステナブル
Sustainability Sustainable
アメリカではごく一般的なのに、日本人にはなんとなくとっつきにくい「サステナビリティ(名詞)」、あるいは「サステナブル(形容詞)」ということば。
直訳すると、「持続可能(な)」という意味ですが、それでもわかりずらいですよね。
簡単に言うと、人類や動植物が絶滅することなく、地球がずっと破壊せずにいられること、地球上の生態系が永続できる、ということ。つまり、地球に優しいってことなのです。
たとえば、オーガニックの食品や衣類を作ったり使ったりすることは、農薬をたくさん使ったものを生産・使用するよりも、地球の環境破壊を防ぐことになるので、サステナブル。電力消費量の少ない省エネ電球(LEDなど)は、通常の電球を使うよりサステナブル。
でも、環境対策を行うだけがサステナブルなのではありません。
たとえば、貧困問題。
アフリカなどの貧しい国の人々が、日々食べるものもなく困っているのに、先進国の人々が、たくさん食べておいてダイエットする、たくさんの食糧を買って腐らせて捨てる、なんて格差があってよいはずはありません。
貧困から発生する問題も多々あります。教育が受けられないために、自力で生活していく術を学べず、いつまでたっても貧しいまま、作業の手が必要なためにたくさんの子供を生み、それが世界の人口増加につながり、さらなる食糧不足につながったり、予防注射を打つことができず、また防ぐ手段を知らずに感染症が広がったり、日々のお金を稼ぐために大切な森林を伐採したり、売れる農作物だけを育てるために土地が衰えたり。もちろん、こんな状態はサステナブルとはいえません。
また、多くの動植物が絶滅に瀕していることもサステナブルではありません。地球の生態系は、いろんな動植物がお互いに影響しあってバランスが取れるはずなのに、現在は、人間の活動によってバランスが崩れ、このままでは、動植物だけでなく、人類でさえ生き残っていけるかわかりません。こんな状態はサステナブル とはいえません。
とにかく、自然の節理に従って生きること、地球や環境に害を与えない行動やモノ、コト、人をサステナブルというのです。
実は、サステナブルということばは、元々、ビジネスの世界で多く使われていた用語でした。
たとえば、急激な好景気は永遠には続かないものだから、サステナブルではない、とか、倒産せずにずっと存続していける会社はサステナブル、とか。
それが、1987年に開催された「環境と開発に関する世界委員会」という会議の報告書で、「持続可能な開発」と書かれたのをきっかけに、環境に関することばとして一般に広まったのです。
ちなみに、この報告書では、サステナビリティを以下のように定義しています(米環境保護庁でもこの定義を採用しています)。
「meeting the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs」
簡単に訳すと、「我々の子孫に害を与えることなく、現在の必要性を満たす」、という感じでしょうか。
現代の人間の行いは、農業から工業、ほとんどにおいて自然発生的なものはなく、人為的なものです。狩猟・採取して生きるのでない限り、農業も工業も、人為的に物を作っているのであって、厳密には自然に反した行いと言えます。
農業革命、産業革命以来、人類がこうした人為的な行いを続けてきたことで、自然の生態系と人間の行為の歪みが生じ、その現象が徐々に目立つようになってきました。それが、今起こっている地球温暖化であり、ハリケーンの多発や干ばつなど自然災害なのです。
でも、人為的な行いをしなければ、現代人は生きていけません。
今から原始時代の狩猟と採取の暮らしに戻るのは無理なことだし、せっかくここまで発展した文化や科学技術を有効利用しない手はありません。
便利な生活や欲しいものをあきらめて原始的な生活に戻るのではなく、これまでに培った技術を可能な限り有効利用して、環境を汚ごすことなく、且つ、貧富の差なく、世界中が幸せになれるような方法で発展を続け、私たち自身のためにも、私たちの子孫のためにも、美しい地球を守り、よりよい環境を残して行くことが大切なのです。
もちろん、技術に頼るだけでなく、私たちひとりひとりも、省エネする、オーガニックフードを率先して食べる、など、サステナブルな行いを続けていく必要があります。
みんながさまざまな方法でサステナブルな行動を続け、将来、歴史の教科書に、今の私たちの行いが地球の危機を救ったと書かれるようになると嬉しいですね。

